ジュウニブンノイチ_Episode 2/12




俺の好きな人、黒井弥夜子さんのこと。





弥夜子さんは俺の13 年上で、そのことを話したらいつも干支一周だと笑う。
「私が中学のころに生まれた子でしょう。大きくなったものね」
よくついている頬杖で唇を半分隠しながら言う。
「中学生までは人間、犬猫と一緒だから。人間じゃないわ。会話にならない」
「俺、先月まで中学だったんですけど…いぬ?」
「十希くんはいいのよ。話通じるもの。」
にっと笑う。俺は赤くなる。



葬儀がばたばたと済んで、俺は日がなぼんやり過ごしていた。
春先、桜の咲く前にばあ様はいなくなってしまった。
坂田弥生告別式の看板を業者が持って行って、すべてが終わった。
俺は結局いつまでもばあ様に何もできなかった。
学校に行かせてもらって、服を着せてもらって、ご飯をつくってくれて、
育てられて、守られて。
ばあ様は苦しい時代を生きた人だったから、俺は、はやく大きくなりたかった。
ばあ様の役に立つ、ちゃんとした人間になりたかった。
小さい頃からいつも、ばあ様の膝に乗りながら時々見えた「あの頃のばあ様」が、
まさか目の前に現れるとは思わなかったんだ。



「ありがとう、変なのに絡まれて困ってたのよ。」
街中で、しつこいナンパに遭っていたその人に言われた。
「弥夜子、っていうの。春に縁があるわね」
弥生三月、星よりも桜が空を埋める。俺の中の守りたかったものが降ってきた。
だから運命とすり替える。気付くのは7 年後。
「俺はあなたに何でもしたいです、本当に」
「あらそう?じゃあ、まずはお茶にしましょう」
思えばその時から、弥夜子さんは俺に触ってきたんだ。



彼女には医者の恋人がいて、金も地位も頭もあるんだろう。
彼女よりも年上だから、俺なんてそのへんの幼稚園児くらいにしか見えないんだろう。
だからどうした。
彼女は俺のところに来る。ばあ様のいなくなった部屋で眠る。
「疲れちゃうのよ。やっぱり十希くんところが一番ね」
とろとろと眠りながらそう言って、俺はまた髪をなでる。猫のように伸びる彼女の喉をなでる。
俺が一番なら、そいつといて疲れるなら、俺が一番なら、
俺にはいつでもあなたが一番なのに。
言葉が、俺の世界にない意味で動いている。
肌なら信じられると思っていた。


(2010.07 初出)